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「姫路グリーンホテル立町」のホテルの自動ドアを出て、左(北)に直進すると、2つ目の右(東)角に小さな神社、「長壁神社(おさかべじんじゃ)」です。
元々、「長壁神社」の毎年の例祭には、多くの人が「ゆかた」を着ます。そのため、古来より「ゆかた祭り」と呼ばれています。この祭りは寛保2年(1742)5月、“風流大名”で名高い城主・榊原政岑(さかきばらまさみね)が始めたものです。榊原家とは、もちろん“あの徳川四天王家(*1)”のひとつ「榊原家」です。
政岑は、日光代参の希望が幕府に聞き入れられなかったことに不満を持ち、酒色におぼれて、江戸の遊郭・吉原へ通
いを始めてしまいます。
そして、「色婦録」にも艶名をうたわれた名妓・高尾太夫(*2)を身請けします。身請け費用として5,500両、当時の家老5人の年収に相当する額を支ったとも言われています。
太夫を姫路に連れ帰った政岑は、側室西の方として城内西屋敷(*3)に住まわせますが、当時倹約を推し進めていた時の将軍・吉宗に知れ、糾弾され、20代の若さで隠居を命じられてしまいます。
その時、子の榊原政永(まさなが)は7歳でした。姫路が徳川幕府。西の枢要の地であった為、姫路城に幼主は認められず、結局、榊原家は越後高田へ左遷されることになりました。
政岑は移封される前、姫路での最後の思い出に、何か永久に残しておくにふさわしい華やかな行事はないかと考えました。そこで、それまで武家だけのものだった「長壁神社」の例祭を町民にも解放し皆で楽しもう、と思いつきます。

この急な御布に町民は式服を調製する暇がありませんでした。そこで、政岑の許しを得て「ゆかた」を着、走馬(そうめ*4)の代わりに走馬灯を使いました。これが「ゆかた祭り」の始まりとなりました。
現在でも「ゆかた祭り」には多くの人手で賑わい、夜店の多さでも関西地区では指折りのお祭りとなっています。
*1 酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政のこと
*2 太夫:吉原の豪商・大名を相手にする最高遊女の名称。見識・美貌・教養を備え、芸事に秀でていた。
*3 現在の「好古園」
*4 古墳時代以前に中国大陸から輸入された馬はその貴重性故、神様の乗り物としてその走りを奉納されていた。
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